家族っていいなぁ…と、
感じさせてくれる、
スペインの家族の愛情表現の仕方とその親子関係。
もちろん家族によって、そして人によって(スペインも日本も)いろいろなので、
一言でスペインだから…とは言えないかもしれませんが、
私が接してきた家族たちは、そしてテレビなどで見る家族たちの家族愛の表現の仕方は、
日本の一般的なそれとは大きく違っているようです。
子どもの前でも自然に感情表現するスペインの大人たち
実はこれを最初に感じたのは、
中米・グアテマラに住んでいた時。
スペインとよく似ています。
お世話になっていた家族のお母さんが、
声を上げて泣いていて、その横で18歳の息子さんとその友達が慰めている、
という光景。
理由は、別々に暮らしている彼女の夫が電話で冷たかった、とのことでした。
息子とその友達、そして母の、
「ママ、元気だして!パパはまだあなたのことを愛してると思うよ。ただ忙しかっただけだよ」
「大丈夫だよ!オジさんはきっと帰ってきてくれるよ」
「ありがとう。頑張るわ」
そんな光景を見た時、
正直、驚きました。
18歳の息子さんがその友達と一緒に、
恋愛で傷ついているお母さんを慰めている。
そんな光景、それまで日本では見たことがありませんでした。
両親が私(子供)の前で感情的になっているところも見たことがなく、
常に子供扱いされ、大人の問題に子供が入って来るな的な中で育ってきたので、
驚きでした。
大人になってからも、子供の前では感情をコントロールして、
常に“大人”でいなければならないと勝手に思っていた私の気持ちが、
緊張が解けて、ほっと暖かくなったのは事実。
大人も感情があるんだし、自由に表現していいと思う。
そして同時に、子供のことを「子供のくせに」「子供は子供らしく」というのではなく、
一人の人間として認めているからこそ、こういう関係が成り立っていることが、
羨ましくもありました。
大人が子供の前で涙を見せる。
恥ずかしいことじゃない。
それが人間なんだから。
私は子供のころ、漠然と、
大人になったら、悲しくなったり辛くなったりすることがなくなるんだろうと、
思っていました。
まさか、この歳になってまで、若いころと全く変わらず、
感情のコントロールができずに、悲しくて泣くことがあるなんて。
ここに挙げた例だけでなく、
小さいころから子供たちが大人と“対等”に話し合ったり意見したりしていることが、
大きくなってから、しっかり自分の意見を言える、
大きな理由の一つになっているのでしょう。
成人の意味と子供の意見を尊重するスペインの親
スペインにいると「未成年か成人か」が、
とても重要だというシーンに多く巡り合います。
成人になるまでは全て親の責任。
成人になると、自分の責任の元、決断し行動できる。
日本語のクラスに、当時17歳の男の子がいて、
毎日、バスに乗ってお母さんが送り迎えをされていました。
クラスのみんなで集まる食事会にも、お母さんが送ってきて、会が終わるまで待っていて、
連れて帰っていました。
お母さんが無理な日は、必ず祖父母や親せきの人が来て、男の子が一人で来る日は、
一日もありませんでした。
それが、次の週、その男の子が一人でやってきて、
食事会も、それまでは終わったらすぐ帰っていたのに、夜遅くまでいられるというので、
聞いてみると、誕生日を迎えて、18歳になったということ。
一週間しか経っていないのに、こんなに変わるの? *_*
誕生日を迎えたからと言って、人として急に成長するわけじゃないのに…。
最初は、驚きました。
でも、スペインではこれが普通。
18歳を迎えた瞬間から、自分の責任の元で行動するようになります。
逆に言うと、未成年の間は親の責任、送り迎えは義務でもあります。
そして、成人になると、
息子・娘であっても個人の意見を尊重するスペインの親たち。
例えば、好きな人や恋人ができたとき。
それが、ちょっと問題ありの場合など、もちろん親としてのアドバイスはしますが、
最終的には本人が決めること。
もちろん、親として一個人としての意見・希望はあるのでしょうが、
「それは息子と彼女の問題だから、私には関係ない。息子の決断を尊重します」
というようなコメントをよく耳にします。
そして、
子どもの恋愛に首を突っ込む親たちには、
世論も冷たいです。
どんな時も家族の味方 スペインの家族の在り方
そして、子供が自己判断をして失敗した場合。
「何があっても、家族なんだからあなたの味方よ」という親の姿勢が、
見られるスペインの家族。
それが、日本的に言うと、
親の顔に泥を塗るというようなことであっても。
「恥の文化」の日本では、
「恥ずかしくて、親として人前に出られないわ」というようなシーンでも、
スペインの親たちは、前に出て子供を守ってくれる。
「うちの子は何もできないんですよ~」というような謙遜もなく、
「うちの子が世界で一番!」と人前でもはっきり言います。
日本語のクラスで、始まってからずいぶん月日が経っているのに、
一人だけ、ひらがな・カタカナを覚えていない子がいて、
ご両親との面談時に、何とか覚えてもらうように言ってもらおうと、伝えたとことろ、
母「うちの娘、3分の1もかなを覚えたんですかー?すごーい!!!あなた、すごいわよねー」
父「すごいねー、さすがだね!誇りに思うよ」
という思いがけない反応が返ってきて、びっくり。
その時は親がそれだから、子供も勉強しないんじゃない?と思ってしまったものの、
日本語の勉強は趣味で楽しんでやっているんだし、
一生懸命、覚えようとしても無理なのかもしれない。
それぞれ得手不得手もあるし、
そこで、
「皆、覚えてるのに、あなただけ覚えてないなんて恥ずかしいでしょ。しっかり勉強しなさい」と言われるより、
「3分の1も、日本語の字を知ってるの。すごいねー。あと3分の2も頑張って覚えてね」
と親に言われる方が、子供としても救われるかな…と最近は思ったりします。
もちろん、何についてかにもよりますけどね。
世間体があるから人前では「叱っておきます」と言われるのではなく、
どんな状況であっても家族が守ってくれる、
そんな形の家族愛に包まれて過ごしてみたかったなぁと、
この歳になって、しみじみ感じる今日この頃です。
Te quiero, guapo, guapaと口にするスペインの親たち
そして、
スペインの親たちは子供たちに、
「Guapo(男前)」「Guapa(美人)」「Te quiero(愛している)」を繰り返します。
これも、うちの両親の世代だと、
「いえいえいえいえ~。うちの娘? 美人?そんなことないですよ~。最近太ってね~」
と否定+聞いていないネガティヴなことまで付け足すのが美徳のような感覚。
最近は、自分や身内を褒めること、自己肯定感が高いことを良しとする傾向もありますが、
やはり、日本では抵抗がある人も多いのかもしれませんね。
という私も、最初のころは、違和感を感じていました。
それが、段々といいもんだなーと感じるようになってきた最近。
私は親には、もちろん「愛してる」とは言われたことがありませんが、
人生で一度だけ、一時帰国からスペインへ戻ったときに、
「あなたが帰って改めて、私はあなたのことが大好きだってことがわかったよ」
というメールが届きました。
それを読んだとき、やはり愛を強く感じたし、
パートナーから「Te quiero」と言われるたびに、
絆が強くなっていく感じがします。
やはり、口にしたほうが伝わりますよね。
スペインと日本。
いろいろ違うことがあり、2か国のいいところを取って一つになればいいのに、
と思いますが、
一つ、はっきり言えることは、
スペインに来て、家族に対する感覚が確実に変わりました。
一人でいることが心地よくて、
日本に住んでいた時から、早く独立したくて、
一人暮らしが夢だったのに、
大家族で、皆で旅行できれば楽しいだろうなーと思うようになり、
以前では考えられなかった、
自分やパートナーの家族や兄弟と1か月ぐらいアパートを借りて、
皆一緒に、バケーションを過ごしたいなーと心から思ったり。
年齢的なものもあるかもしれませんが、
スペインの家族と過ごすと、皆マイペースで、
勝手にしたいことをして、言いたいことを言って、
嫌なことは嫌と言い、それが問題にもならないので、
気を使わなくてもいい、自然体でいられる、ということも大きいかもしれないですね。